第9話 補遺
① 正20面体群が分解できない理由
一般の5次方程式の解がべき根で表現できないのは、正20面体群がそれ以上分解できないからだ。では、正20面体群は、なぜ分解できないのか。その理由を説明しよう。
まず、「分解できない」という言葉を精密化しないといけない。そのために、「正規部分群」という概念を導入する。
ある群 G があったときに、その部分集合 H で、それ自身が群になっているものがあると、H は G の部分群だという。このような部分群 H の元が、H={h1,h2,...} となっていたとしよう。そのときに、もとの群 G の任意の元 g を持ってきて、{gh1g−1,gh2g−1,...} という集合を考え、これを gHg−1 と書くことにする。H が G の部分群なら、gHg−1 も部分群になる(なぜそうなるかは、自分で考えてみよう)。そこで、部分群の間の変換 g:H→gHg−1 を、g∈G の H への作用と考えることにする。
群 G のどんな元 g についても、gHg−1=H となっている部分群 H のことを正規部分群と呼ぶ。正規部分群は、G の作用で不変になっているといえる。
たとえば、3次の対称群 S3 では、{1,Ω,Ω2} が正規部分群になっている。これを確かめるために、Λ を使って、Λ{1,Ω,Ω2}Λ−1 を考えると、
ΛΩΛ−1=Ω2ΛΛ−1=Ω2,ΛΩ2Λ−1=ΩΛΛ−1=Ω,
なので、{1,Ω,Ω2} に戻る。また、Ω{1,Ω,Ω2}Ω−1={1,Ω,Ω2} は当然成り立つ。S3 の元は、すべて Ω と Λ の組み合わせで表せるので、そのどんな元 g についても、
g{1,Ω,Ω2}g−1={1,Ω,Ω2},
となる。すなわち、{1,Ω,Ω2} は正規部分群であることがわかる。S3の中には、交換しない元が含まれている(たとえば、ΩΛ≠ΛΩ )が、この正規部分群の元はすべて交換する。元同士がすべて交換する群は、可換であるという。一般の3次方程式の解がべき根を使って表せる理由は、3次の対称群が、{1,Ω,Ω2} という可換な正規部分群を持つからだ。
もちろん、どんな群 G についても、G 自身は正規部分群だ。また、単位元だけからなる群 {1} も正規部分群だ。そこで、この2つの正規部分群は除いて、自分自身と {1} 以外に正規部分群を持たない群のことを、「単純群」とよぶ。ガロア理論で、正20面体群が「それ以上分解できない」というのは、「単純群だ」という意味だ。正20面体群がなぜ単純群なのかを説明しよう。
5次方程式の解の対称性 S5 について考える前に、一般のn次の対称群Snの性質について調べておこう。
Sn は n 個のもの、たとえば n 次方程式の n 個の解 {ζ1,ζ2,...,ζn} の入れ替えの群だ。その任意の元 g∈Sn を考えると、これは ζ1 を g(ζ1) に、ζ2 を g(ζ2) にする。これを繰り返したときの、ζ1 の行方を考えてみよう。ζ1 は g(ζ1) に、g(ζ1) は g(g(ζ1)) になる。解は全部で n 個しかないから、いつかはもとの ζ1 に戻ってくるはずだ。g は、このループに入っている解をグルグル回す。グルグル回っているので、これを巡回置換と呼ぶ。たとえば、長さが mのループがあって、
a1→a2→⋯→am→a1,
となっていたら、この巡回置換を (a1,a2,...,am) と表すことにする。この表示法では、
(a1,a2,a3,...,am)=(a2,a3,...,am,a1),
などとなっているけれど、たとえば、
(a1,a2,a3,...,am)≠(a2,a1,a3...,am),
であることに注意しよう。
次に、このループに入っていない解を選んで、また g を作用していくと、もうひとつループができる。これを繰り返せば、g を巡回置換の積で表すことができる。つまり、対称群の元は、すべて巡回置換の積として表すことができる。
特に、ループの長さが2のものを互換と呼び、 (a,b) と書くことにする。対称群の元は、すべて互換の積として表すことができる。たとえば、(a1,a2,...,am) というループがあったとき、これをグルグル回す巡回置換は、互換の積として、
(a1,a2,...,am)=(a1,a2)×(a1,a3)×⋯×(a1,am),
と分解できる。対称群の元は、巡回置換の積として表すことができるので、互換の積になる。
対称群の元を互換の積として表す方法は一通りではない。たとえば、ζ1,ζ2,ζ3,ζ4 が異なる解のときには、
(ζ1,ζ2)=(ζ3,ζ4)×(ζ1,ζ2)×(ζ3,ζ4),
となる。しかし、Sn の元 g を互換の積に分解したときに、互換が奇数個になるか偶数個になるかは、g によって決まっている。たとえば、上の例でも、左辺は互換が1つ、右辺は互換が3つで、どちらも奇数だ。互換の積が奇数の元のことを「奇置換」、偶数の元のことを「偶置換」と呼ぶ。
対称群 Sn の偶置換の全体は、部分群になる。それは、偶置換と偶置換の積が偶置換だからだ。これを「交代群」と呼び、An と書く(AはAlternatingの頭文字だ)。一方、奇置換を偶置換に掛けると奇置換になる。たとえば、(ζ1,ζ2) は奇置換の例だ。だから、Sn の中で、偶置換は An に含まれ、奇置換は (ζ1,ζ2)×An に含まれる。つまり、
Sn=An∪[ (ζ1,ζ2)×An ],
である。
しかも、An は Sn の正規部分群になっている。これを示すためには、Sn のどんな元 g についても、gAng−1=Anを示せばよい。さて、g は互換の積として表すことができるが、これが偶数の互換の積(偶置換)の場合には、An が偶置換の集まりなので、当然 gAng−1=An となる。一方、g が奇置換の場合には、g=(ζ1,ζ2)×(偶置換) と書けるので、結局 (ζ1,ζ2)An(ζ1,ζ2)−1=An を示せばよいことがわかる。互換 (ζ1,ζ2) は2回作用すると元に戻るので、(ζ1,ζ2)−1=(ζ1,ζ2) であることに注意すると、(ζ1,ζ2)An(ζ1,ζ2)=An と書いてもよい。An の元 g は偶数の互換の積として表せるから、(ζ1,ζ2)×g×(ζ1,ζ2) も偶数の互換の積になり、この等式が正しいことがわかる。こうして、An は正規部分群であることが証明できた。たとえば3次の対称群 S3 では、A3={1,Ω,Ω2} で、確かに正規部分群になっている。
交代群Anは偶置換からできている。そこで、偶置換の性質について考えてみよう。互換の積、(a,b)×(c,d) には、3つの場合がある。
(1)もし (a,b)=(c,d) なら、(a,b)×(a,b)=1となる。
(2)もし、(a,b) と (c,d) に1つだけ共通のものがあると、(a,b)×(a,c)=(a,b,c)で、3つの解の巡回置換になる。
(3)もし、(a,b) と (c,d) に共通のものがなければ、
(a,b)×(c,d)=(a,b)×(b,c)×(b,c)×(c,d)=(a,b,c)×(b,c,d),
となって、3つの解の巡回置換の積になる。
つまり、2つの置換の積は、1 か、3つの解の巡回置換か、その積になる。したがって、偶置換なる交代群は、3つの解の巡回置換だけを使って表せるがわかった。実際、n=3 のときには、A3={1,Ω,Ω2} で、Ω=(ζ1,ζ2,ζ3) だけで表されている。
交代群 An のもう一つ重要な性質として、「(n−2) 重推移性」というものがある。まず、推移性という概念を定義しよう。対称群 Sn は n 個の解 {ζ1,...,ζn} を混ぜるので、その中のどんな解 ζi を選んでも、それを別な解 ζj に置き換える置換 g∈Sn がある。たとえば、g=(ζi,ζj) とすればよい。このとき、Sn は、{ζ1,...,ζn} に「推移的に作用している」という。
k 重推移性というのは、これを一般化したもので、k 個の異なる元 ζi1,...,ζik を、「順序を保ったまま」、任意の k 個の異なる元 ζj1,...,ζjk に移すことができるという意味だ。つまり、一度に ζi1→ζj1; ... ; ζik→ζjk と移動することができるということだ。
交代群 An は、n 重推移的ではない。たとえば、ζ1,ζ2,ζ3,...,ζn を ζ2,ζ1,ζ3,...,ζn に、順番を保ったまま移すのは、互換 (ζ1,ζ2) だが、これは奇置換なので、An には含まれていない。また、(n−1) 重推移的でもない。たとえば、ζ2,ζ3,...,ζn を考えると、これを順番を保ったまま ζ1,ζ3,...,ζn に移すのは、またしても (ζ1,ζ2) で、An には含まれていない。
しかし、交代群 An は、(n−2) 重推移的だ。たとえば、ζ3,ζ4,...,ζn を考えると、これには ζ1 と ζ2 が含まれていないので、これが移る先として考えられる (n−2) 個の組み合わせとしては、ζ3,...,ζn のどれかを、ζ1 と ζ2 のどちか、もしくは両方と入れ替えたものだ。このような作用は、必ず偶置換で行うことができる。たとえば、ζ3,ζ4,...,ζn を順番を保って ζ1,ζ4,...,ζn に移すには、(ζ1,ζ2,ζ3) を作用すればよい。ζ3 が ζ1 に置き換わって、他のものはそのままなので、目的が達せられるからだ。
たとえば、A3 は ζ1,ζ2 を ζ2,ζ3 に移すことはできないので、2重推移的ではない。一方、A4 だと、ζ1,ζ2 を ζ2,ζ3 に移すには、(ζ1,ζ3,ζ4) を使えばよく、これは偶置換だ。A4 は2重推移的だとわかる。
さて、第9話では、5次の対称群 S5 を、2つのものの入れ替えの群 {1,Λ} と正20面体群 I に分解した。互換 ζ1,ζ2) は2つのものの入れ替えだから、これを Λ とすると、S5 を、I と Λ×I に分けたということだ。これをさっきの、
Sn=An∪[ (ζ1,ζ2)×An ],
と比較すると、正20面体群 I は、S5 の正規部分群で、偶置換からなる5次の交代群 A5 に他ならないことがわかる。
この交代群 A5 は、3重推移的だ。つまり、どんな ζi,ζj,ζk も、A5 の元を使って、順番を保ったまま ζp,ζq,ζr に移すことができる。これを使うと、A5 は単純群であることが導かれる。つまり、A5 には、それ自身か {1} 以外には、正規部分群はない。
さっき説明したように、A5 は偶置換の集まりなので、その元はすべて、3つの解の巡回置換の積として表せる。そこで、A5 に正規部分群 H があったら、その元も3つの解の巡回置換の積として表せることがわかる。もう少し考えると、H は、{1} でない限り、少なくとも1つの巡回置換 (ζi,ζj,ζk) を含んでいることを示すことができる。
ところで、H が A5 正規部分群なら、A5 の任意の元 g について、gHg−1=H となっていなければいけない。そこで、H が巡回置換(ζi,ζj,ζk)を含んでいれば、g×(ζi,ζj,ζk)×g−1 も含んでいなければいけない。5次の交代群 A5 は3重推移的なので、3つの解の巡回置換同士は A5 の作用で移りあう。つまり、巡回置換 (ζi,ζj,ζk) をひとつ与えると、他のどんな巡回置換(ζp,ζq,ζr) も、g×(ζi,ζj,ζk)×g−1 と表せる。交代群 A5 のすべての元は、3つの解の巡回置換の積として表されるので、H は、{1}で ない限り、A5 自身でなければならない。つまり、A5 には、それ自身から {1} 以外には、正規部分群はない。単純群であることが示された。
同様に、5次以上の交代群 An (n≥5) はすべて単純であることを示すこともできる。
5次方程式の5つの解を入れ替える5次の対称群 Sn は、正規部分群 A5 を持ち、これは単純群なのでこれ以上分解することはできない。本書で説明したように、この A5、すなわち正20面体群の中では掛け算の順序を入れ替えることができない。これから、一般の5次方程式の解は、べき根では表せないことが導かれる。