第4話 補遺
① 素因数分解が一意でない世界
本書で紹介した「算術の基本定理」によると、自然数の素因数分解は1通りしかない。しかし、この定理が成り立たないような数の世界もある。
ある星の上に知的生命体が生まれて、文明が育ったとしよう。その星では、辺の長さが 1 と 2 の長方形が神聖なものとされていて、その対角線の長さ √5 が特別な数だったとする(ピタゴラスの定理によって、直角を囲む辺の長さが 1 と 2 の直角3角形の斜辺の長さは √5 なので、これが長方形の対角線の長さになる)。
日本円には1円玉、10円玉、100円玉などの硬貨があるが、この星の硬貨には、1円玉、10円玉などのほかに、√5 円玉、10√5 円玉、100√5 円玉などがある。だから、果物屋に買い物に行くと、リンゴがひとつ (20+30√5) 円で売られていたりする。地球の数学者は整数の性質を詳しく研究しているけれど、その星では、√5 が大切なので、(2+7√5) といったかたちの数の性質が詳しく調べられている。
このような数の世界でも、足し算や掛け算ができる。足し算は、
(2+7√5)+(1+3√5)=3+10√5 ,
掛け算は、
(2+7√5)×(1+3√5)=2×1+2×3×√5+7×1×√5+7×3×(√5)2=107+13√5 ,
とすればいい。引き算や割り算も定義できる。
(2+7√5) や (1+3√5) というかたちの数を考えても、「まっとうな」数の世界を作ることができる。この地球の上で、1、2、3、… という自然数の性質が特に詳しく調べられているのは、地球上の環境や人類の歴史の偶然であって、別な数の世界もあるんだ。
このような数についても、素数を考えることができる。しかし、素因数分解は一通りではない。たとえば、4 という数を考えると、
4=2×2=(1+√5)×(−1+√5) ,
というように、2 つの異なる分解の仕方がある。素因数分解が一通りというのは、当たり前のことではないんだ。
幸いなことに、僕らの自然数の世界では、「算術の基本定理」、つまり、自然数を素数に分解する仕方が一通りしかないことが、証明されている。素数が、「数のアトム」として特別な意味を持つのはそのためだ。
② 双子素数
素数のパターンとして有名なものに、双子素数が無限個あるという予想がある。双子素数というのは、「3と5」、「11と13」のように、1つ飛びで並んでいる素数のペアのことだ。2 より大きい素数は奇数なので、「2と3」の場合を除いて、素数のペアがこれ以上近づくことはない。2013年の時点で見つかっている双子素数の最大のものは、
3756801695685×2666669−1
と
3756801695685×2666669+1
のペアだ。
N 桁の素数が 1/(2.3×N) の確率でランダムに分布しているとすると、双子素数はいくつでもあると予想できる。説明しよう。
1桁の数は9個、2桁の数は90個、3桁の数は900個、N 桁の数は 9×10N−1 個ある。素数定理によると、N 桁の数が素数である確率はおよそ 1/(2.3×N) なので、N 桁の素数はおよそ
9×10N−12.3×N ,
あることがわかる。N が大きくなると、10N−1 は N よりも速く大きくなるので、素数はどんどん増えていく。
素数がランダムに分布しているとすると、N 桁の素数があったときに、その1つ飛んだ隣が素数である確率も 1/(2.3×N) だろう。だから、N 桁の数をランダムに選んだときに、その数と、その1つ飛んだ隣の数が両方とも素数である確率は 1/(2.3×N)2)となる。これが正しいとすると、\(N 桁の双子素数の数は、
9×10N−1(2.3×N)2 ,
と見積もられる。N が大きくなると、10N−1 は N よりも速く大きくなるので、双子素数の数もどんどん増えていくはずだ。
しかし、この見積もりは、素数の分布が完全にランダムだと仮定しているので、双子素数の数が無限大だという証明にはならない。N 桁の素数が、おおまかに 10N/(2.3×N) 個あったとしても、1つ飛んで隣同士に現れることを避ける傾向があるかもしれないからだ。双子素数が無限個あるかどうかというのは、まだ解決されていない問題だ。
2013年4月17日、数学の世界でも最も権威のある査読雑誌の一つ『アナルズ・オブ・マセマティックス』に、ニューハンプシャー大学の無名の数学講師から思いがけない投稿があった。間隔が 70,000,000 未満の素数のペアが無限個あるというのだ。『アナルズ』に投稿された論文は厳格な査読を受けるので、出版までに2年ぐらいかかることまれではないが、この論文は約1カ月の後の5月21日には出版が認められるという最速の決定だった。査読者の報告には、
「素数の分布に関する画期的な結果である」と書かれていた。
この論文の著者の張益唐(ザン・イータン)は、20年以上前に博士号を取得しているが、長い間安定した研究職に就くことができず、ファストフードの店員をして口を糊したこともあったという。
素数を見つけるためには、古くからエラトステネスの篩の方法が使われていたが、2005年に、素数のペアを見つけるために改善した篩が提案された。張はこの方法に着目し、8年間の研究の末、この篩をさらに改善することで、間隔が 70,000,000 未満の素数のペアを選び出し、これが無限個あることを証明することができた。
いったんこの方針で素数のパターンが見つかることがわかると、多くの数学者が参入するようになった。張の結果を改善して、もっと間隔の短い素数のペアについて、同じような定理を証明しようというのだ。
最近は、インターネットを使って、多くの数学者の共同作業で定理を証明することもなされている。2009年には、ケンブリッジ大学のティモシー・ガウワーズが、自らのブログ記事で、ある定理の別証明のアイデアをコメント欄に書き込むことを呼びかけたところ、40人がかりで6週間で証明が完成した。この結果は、Polymath という名前で発表された。英語で polymath というのは、百科事典的な知識を持っている人という意味だが、「たくさん=Poly」の「数学者=Math(ematicians)」という意味ももじっているのだと思う。
張の結果を改善するためにも、Polymathプロジェクトが立ち上がって、7月27日には、間隔が 4,680 未満の素数のペアが無限個あることが証明された(70,000,000 から、4,680 に間隔が縮められた)。
しかし、伝統的な数学の研究方法も健在だ。11月19日には、モントリオール大学のジェームス・メイナードが、間隔をさらに 600 まで縮めた定理を発表している。
このペースだと、1つ飛びの素数ペアが無限個あるというもともとの双子素数の予想が証明される日も近いかもしれない。
この原稿を校正しているときに、アメリカ数学会の2014年度のコール賞受賞者のひとりに、張が選ばれたことを知った。今回の話の一番最初に出てきたフランク・ネルソン・コールを記念した賞だ。論文の投稿から受賞まで9ヶ月という最速の決定だった。張さん、おめでとうございます。
③ 9が並ぶ数の素因数分解
オイラーの定理の簡単な応用を書いておこう。9、99、999 というように、9の並んだ数を素因数分解すると。
9=32, 99=32×11, 999=33×37, 9,999=32×11×101,99,999=32×41×271, 999,999=33×7×11×13×37,⋯
ここには、3、7、11、13、37、41、101、271 などの素数が現れている。実は、このように 9 が並んだ数を考えると、2と5以外のすべての素数が、どれかの素因数分解に現れる。何か不思議なことが起きているようだけれど、これは、オイラーの定理を使うと証明できる。
9 が N 個並んだ数は、(10N−1) と書くことができる。たとえば、101−1=9、102−1=99、103−1=999だ。
オイラーの定理によると、n と m が互いに素なら、(nφ(m)−1) はmで割り切れる。そこで、n=10 として、(10φ(m)−1) を考えると、m が 10 と互いに素なら、この数は m で割り切れる。m が 10 と互いに素ということは、素因数に 2 と 5 が現れないということだ。
そこで、p が素数で、p≠2,5 とすると、9 が φ(p) 個並んだ数である 10φ(p)−1 は、p で割り切れる。9 が並んだ数の中には、「2と5以外の」すべての素数が現れることが証明できた。
④ 素数の歌
第4話の最後には、19世紀米国の思想家で詩人のヘンリー・デイビッド・ソローの「数学は詩のようだといわれるけれど、そのほとんどはまだ詠われていない」という言葉を引用して、「素数については、これからも多くの詩が詠われていくことだろう」と書いた。
シカゴ大学の数学教授で整数論の大家の加藤和也は、2005年に日本学士院賞と恩賜賞を受賞した際に、皇居で「素数の歌」を歌って、天皇、皇后両陛下に自らの研究を説明した。
素数の歌はとんからり
とんからりんりんらりるれろ
耳を澄ませば聞こえます
楽しい歌が聞こえます
素数の歌はちんからり
ちんからりんりんらりるれろ
声を合わせてうたいます
素数の国の愛の歌
素数の歌はこんころり
ころりんころりんころころり
心やさしい星の子の
願いのように澄んだ歌
素数の歌はぴーひゃらら
ぴーひゃららんらんらりるれろ
うさぎも鹿も聞いています
森のふしぎな笛の音
素数の歌はぽんぽろり
ぽろりんぽろりんぽんぽろり
素数は夢を見ています
あしたの夢を歌います
1番は「素数は、よく研究しないと理解できない」、2番は「ひとつひとつバラバラに見える素数にも相互の関係や全体の構造がある」という意味だそうだ。
後日、皇太子殿下から「ずいぶん面白く説明してくれたので、皇后陛下は喜んでいた」とのお言葉があったと聞いている。